楽しいこといっぱい

映画や本の感想書いていきます。アニメやゲームの話もします。

推しにお金をかけること

私のコンプレックス。それは、どんなに好きな物に対しても理性のタガが外れないこと。

もっとはっきり言えば「浪費女子」になれない事である。

勉強にしても、ボランティアにしても、オタ活にしても、アイドルにしても、仕事にしてもそうですけど、対象が何であれ全力で何かに熱を注いでる人ってかっこいいですよね。恐らくこの羨望は割と多くの人も感じていると見え、だからこそ「アメトーーーク」「家ついてってイイですか」などの割とディープな趣味や収集に全力を注いでいる人〈オタクと称します)を映す番組は人気なんだと思います。私はああいった人たちの姿勢に憧れていつかは自分もああなりたいと切望し、割と好奇心旺盛なのも幸いしこれまでに様々な分野をつまみ食いしてきました。アニメ、クラシック、演劇、ドラマ、美術、文学…。そのどれも素晴らしく、間違いなく私の人生の糧となっていますし今後もこの芸術が私の人生に欠かせないものであることは間違いありません。ですが、じゃあそれらをいつか私が憧れた「オタク」として追いかけることが出来るかと問われたら、私は否と答えるでしょう。

なぜなら、私にはそれだけの根気と根性を持っていないからです。

私も一応頑張ってオタクの真似事を色々やってみたんです。イベント参加、グッズ集め、二次創作など。それらを経験して言えるのは、追いかけるのって心身ともに物凄いパワーを要するという事。

自分の自由な時間や考えやお金をどんどん吸い取られて行く感覚が、私にはどうしても拭えませんでした。オタ活(またの名を推し事)以外にも、友人との飲み会やショッピングや読書など、やりたいことも盛りだくさん。私は煩悩の多い人間なのだと実感した契機もこの辺りです。

 

そして、一番自分が推し事に向かないなと思ったのはファン同士のマウンティングに疲弊したことです。札束で相手の頬を叩く感覚、味わったことありますか?あれ、ある程度推し事してると味わえちゃうんです。勿論、実際に叩くわけではありません。ある時には激レアカード、またある時には限定コラボグッズ、またある時にはサイン本など、札束はいろんな形で現れてはファン同士のマウンティングの道具として(凶器として)現れます。本来なら、ひたすらに愛を注ぐべき存在なのにね。

叩いた瞬間のなんとも言えない感覚!快感、罪悪感、恐れ、さまざまな感情が心でないまぜになります。

逆に叩かれた瞬間の感覚!悲しみ、苛立ち、怒り、羨望、敗北感、叩いた瞬間以上に強烈なエネルギーとなって心に渦巻きました。(叩いた瞬間よりも感情の数が多いのは、恐らく叩くよりも叩かれる回数の方が多かったからでしょう)

このエネルギーのぶつかり合うファン同士の交流で生じる疲労感が、いつしか私は推し事での楽しみよりも大きくなっていました。「なんで、大好きなものに関わっているのに疲れているんだろう」って思っちゃったんです。

恐らくもっと根気や負けん気の強ければ、ここでへこたれずに進んでいけたんでしょうが私にはそこがゴールでした。

 

今は、好きなものをマイペースで追いかけるのを目標にしています。

公演もプライベートと折り合いつけて参加、グッズも興味なければ買わない、CDも好みじゃなければ買わない、ガチャも回す回数を予め決めておく(パチンコみたいなルールですが、ガチャも立派な博打の一種!)など、ガチ勢の方から見たら拍子抜けされる姿勢で推し事してます。

推し事と称するのも結構ビクビクしてますが、こんな推し事のあり方だってアリなんじゃなかろうかと思いたい。みんながみんな、頑張れるわけじゃないから。

それと同様に、浪費女子にもいろんなあり方があってもいいと思う。

「貯金しつつのプチ浪費も全然あり」って風潮になってほしい。

みんな、それぞれの姿勢で推していけたら良いな。