楽しいこといっぱい

映画や本の感想書いていきます。アニメやゲームの話もします。

言葉

バナナにはまって以来、わりと色んな経験をしてきたのだけれど(積極的にコラボカフェ参加、グッズを値札を見ずに購入、ブルレイ全巻予約購入、pixivで半日を過ごすなど。どれも締まり屋で飽き性の私ではこれまで考えられなかった行動である)、一番なにが自分で考えてインパクトが大きいかと言えば、自分で二次小説を書いて、おまけに即売会のタイミングに合わせて同士の方々と一緒に合同誌を発刊してしまった事である。マジかよ。

この経験は自分の中で大きな出来事だった。

声が大きい割に自分の主張にさほど自信が持てない(クソ!)という私にとって、紙媒体というものを一からみんなで作ってお金を頂戴して発刊して読んでいただくっていうのは、かなりかなり通常ではありえない行為。勇気を試される行為。

これが出来たのも、同士の皆さんの熱意と知識のおかげだなあとしみじみ感じます。私一人ではたぶん途中であきらめていたもん…。

自分の作品の出来不出来はともかく、今回の記事で一番主張したいのは、創作という経験を通して私はあらためて「言葉」を丁寧に扱う事を学べたことである。

「言葉」に対して誠実に向き合い、受け取り、そして発信することを学べた。そして同時に、「言葉」はとても正直に発信者の心を映すという事も学べた。

自分がこれまでどれだけ言葉に対して分かっているような態度を取っていて、実は全然わかっていないかというのが実際に書いてみてよく分かった。

もっと言えば、言葉に対していい加減で不誠実な向き合い方をしていたと言っても良いかもしれない。

上っ面だけの言葉を道具として操り、なんとなくお茶を濁していた。これで良いんだ、形だけ整えとけばみんななんとなく納得してくれるし分かってくれるだろう、この場は上手くやり過ごせるだろうって思っていた。

でも、言葉ってそんなもんじゃなかった。

言葉ってもっともっと難しくて、奥深いものだった。

自分の気持ちや伝えたい事にきちんと耳を澄ませて、それに嘘をつかずに、当てはまる言葉を探して紡いでいくのはとても難しい(自分の心にきちんと向き合うという作業が特に)けど、だんだん慣れてくると面白くなるのも嬉しい発見だった。

自分の発信する言葉に敏感になると、次は他者からの言葉に敏感になった。これは面白い反面、辛く感じることも増えてきた。

まず、嘘やごまかしがなんとなく分かるようになってきた…気がする。(自分のネガティブ気質もあるから、考えすぎなのもあるかも)

特にSNSなどの文面上での言葉。特に、作品の感想とかも本当は読んでないのかなとか、そういうのも言葉の節々で察せられちゃうのが色々な意味で心がぎゅってなったなあ。読んでないから腹立ったとかではなく、無理に気を使わせて苦しい嘘をつかせてしまった〰!!って申し訳なさで、土の中に体を埋めたくなった。と同時に、自分が今まで本当は友達の作品をきちんと完読できていないのにそれを言い出しづらくて、いまいちぼやけた感想を言ったりしていたのも、きっとあの子には私の本心が透けて見えていたんだろなうわあああああああ、とか知りたくなかったけどまだ今のうちに知れて良かったことなどもあった。(くだんのお友達、本当にその節は申し訳ありませんでした)

人の心に届き、響かせるのにごまかしや嘘は通用しない。ありのままの、嘘のないシンプルな言葉こそが相手の心を打たせることができる。

そんな事にやっと気が付けたのでした。

まだまだ見栄っ張りだし、どうしてもなにもかも明け透けには出来ないけど、これからは熱意と誠実さをもって言葉にきちんと向き合いたいと思った所存であります。

以上、決意表明でした。

 

 

 

ハッピーちゃんを忘れない

私にはふとした瞬間にどうしても思い出してしまう子がいる。

その子は作品の中で特別目立った活躍をしてもいなかった。目立たない存在だったかもしれないし、私自身ある瞬間までは特別意識もしていない子だった。

でも、その子は観葉植物みたいにその場にいるだけでみんながほっとするような安心感のある優しいかわいい女の子だった。

その子は、ハッピーちゃん。

作品名は「やすらぎの郷」。倉本聰さんが手がけたドラマである。昼ドラ枠で2017年4月3日から9月29日まで放送された。

あらすじとしては、芸能界の第一線で活躍したテレビ界の大御所たちが高級老人施設で繰り広げる日々のあれやこれやを、石坂浩二さん演じる往年の名脚本家視点で見るというドラマである。

ハッピーちゃんというのは、その施設の中に設けられたバーで働くバーテンダーである。

松岡茉優さん演じるハッピーちゃん(当然、あだ名。見てると幸せな気分になるような笑顔の可愛い子だから、みんなからそう呼ばれてる)が、分かったのか分かっていないのかハッキリしない表情を見せながらおじいちゃんたちの話し相手になったり、時には彼らが語り合う空間を邪魔しないように静かに空気に徹したりと、ドラマ内最年少ながら素晴らしい気働きを見せる女の子だった。

いつもニコニコして、みんなの孫みたいな雰囲気で、誰からも愛される女の子。それがハッピーちゃんだった。施設内のおじいちゃんおばあちゃん達の珍道中や悲喜こもごもの事件が起きても、きっとこの子の周りはずっと穏やかで幸せな空気が漂い続けていくんだろうなと思わせる子だった。いや、正確にはそんな考えすらわざわざ思い浮かばないような、当たり前のように幸せな空気を持っている女の子だった。

そんなハッピーちゃんが、ある夜、犯罪被害者になった。

レイプされたのである。

事件は職場からの帰り道に起きた。

いつもより遅めの店じまいになったハッピーちゃんは、施設のある小高い丘から自転車に乗って山道を下っていると(ここの場面で、女の子一人の帰りなのにバスにもタクシーにも乗せずに自転車で帰らせているという衝撃の事実が発覚する)その途中でうずくまる若い女と彼女を介抱する若い男数名に遭遇。「大丈夫ですか?」と自転車から降りて駆け寄るハッピーちゃんを、その若い男たちがいきなり羽交い絞めにしてそのまま山奥に引きずり込んだのである。(若い女はそれ以降出てこず。謎すぎるし、設定がばがばすぎでしょ)

ハッピーちゃんは彼らに輪姦された後、同じ施設の介護士(元不良、今は完全に更生済みの真面目な男の子)に発見されて保護された。

犯人は、地元の不良グループ。(こいつらがマジで見た目もセリフもくそだっせえのなんの。暴言失礼。)なんでそんな事に及んだのかは分からず。

伏線あったかなと頑張って探したけど、何にも見つからなかった。しいて言えば、発見した介護士の男の子が以前そいつらのグループにいたことくらい?でも、そのシーンになるまではこいつらが彼になにか突っかかっているシーンも描写も無かったから恐らくそれが直接の原因とは思えず。

この事件は当初はハッピーちゃん自身も公にしたくないと望むことから警察沙汰にもならず(ちなみにこのハッピーちゃんの行動に対して、劇中内でなにか疑問をなげかけることも無かったと思います)、施設利用者にも知らせない予定だったけど、本人の意思は完全無視で一瞬で老人たちのゴシップの種となる。

その中でかつて極道者だった施設関係者のおじさんたちが不良グループに殴り込みに行こうとするのを往年の名俳優がストップをかけて、やくざのドンみたいな芝居をその加害者たちのアジトで演じてビビらせておじさんたちは溜飲を下げる。

一方、ハッピーちゃんは職場のバーでおばあちゃんたちに「忘れなさいよ」って言われてこの件は終了。

これが、一連の「ハッピーちゃん事件」のあらまし。

私はこれがどうしても許せなかった。今でも許せないままでいる。

どうしてハッピーちゃんはこんなひどい目に遭わなきゃいけなかったの?

なんでこんな事件を起こしたの?

こんな事件のまとめ方、あんまりなんじゃないの?

そもそもこの展開はストーリーで必要だったの?

色んな疑問が頭の中を駆け巡っている。

ドラマから何年も経った今でもこれは変わらない。心が元気な時はさすがに落ち着いているけれど、それでも少し心が曇りがちになった時にふとよぎるのがハッピーちゃんなのだ。

レイプを描くことで、一体何を表現したかったんだろう。

もし仮にそれを展開に描くにしても、なにかそれを題材にすることでどうしても表現したいものがあるのなら、まだ救いはある(それでも絶対に許すことは出来ないが)。

例えば、性被害者の心を描く。事件前と事件後で、男性に対しての心の動き方の変化。トラウマとの対峙。そこからの復活。

あるいは、警察や関係機関の対応を描くのもありだと思う。被害者に対して警察がどんな捜査を行うのか。それがどんなに被害者を傷つけていくのか。

でも、ドラマではそんなとこは一切見受けられなかった。

しかも突っ込みたいのが第一発見者、男なんですよ。なのに、ハッピーちゃん取り乱すこともせず彼と二人きりで現場から施設までの距離を車で移動しているんです。そして、彼に介抱されて、体触られて、歩いてるんです。

性被害に遭った直後に、見知った仲の安全な人間であっても、男性に体を障られて大人しくしているのってあまりにご都合主義的じゃない?

せめて立ち上がるのを助けようと腕を取ろうとした瞬間叫び出すとか、そのあたりの描写入れてほしかった。

結局、倉本さんはレイプをエンタメとしか見ていない気がする。

物語の都合上、元やくざのおじさんたちを怒らせて、そんなおじさんたちを黙らせる俳優が一肌脱いで性質の悪い最近の若者を黙らせる…。そんな展開が欲しかっただけに、あの事件を起こした。その結果、ハッピーちゃんは泣いた。傷ついた。

物語の山場づくりのため。それ以上でもそれ以下でもない、レイプ事件。

こんなのってない。

こんなのって、あまりにキャラクターを粗末に扱いすぎなんじゃないの。

ひどい。

もっと何か、話により深みをもたせるためなら、第一発見者の男の子と不良グループをもっと以前から描いておくとか、そういった設定もできたはず。なのにそれもない。

自分なりに色々考えたけど、どうしてもエンタメって理由以外思いつかなかった。

ちなみに私はこれ以降、「やすらぎの郷」の視聴を中止しました。ハッピーちゃんの事件を日頃の平和で退屈な日常を紛らわすためのゴシップとして消化していた(としか私には見えなかった)施設のジジババ達にも愛想が尽きたから。

それまでは、毎日の帰宅後の楽しみとして録画分を夕食食べながら見るくらいには好きだったんだけどね!

今もドラマの続編がやっているみたいだけど、もはや興味もわかない。(なんで続編の存在を知ったかというと、母が教えてくれたから)まったく見ていない。

 

劇中の名女優は、事件後にバーカウンターでハッピーちゃんにこう言った。

ハッピー。忘れるのよ、忘れるのが一番。忘れてオンナはね、オンナになっていくのよ」

でも私は決して忘れない。忘れる事なんてできない。オンナだから。

ハッピーちゃんの悲しさ、悔しさを、忘れない。

大好きなキャラクターを踏みにじられた悔しさを私は忘れない。

 

ブログちまちま再開します

だいぶご無沙汰ぶりな記事です。

知らない間に年はあけていきました。あけましておめでとうございます!

年も開けたので、また心機一転ブログやっていきます。

SNSとの距離感が少し疲れたので、原点に戻ってマイペースに(かつサボりすぎないように)ブログをやっていこうかと思っています。とりとめもない話になるかと思いますが、読んだ本の感想や萌え語りなど色々心に思うことを書いたいきたいです。

バナナフィッシュについてもいっぱい語れたらいいなあ。

今はフィツジェラルドの作品に初めて挑戦しています。なぜかって?そりゃあ勿論「バナナフィッシュ」のおかげです!

各タイトルが全てアメリカ文学からきてるだなんて、粋だと思いません?

私はこうゆうの大好き。

アッシュが生きていた、呼吸をしていた国、アメリカ。その国の息吹を感じるために、読んでみます。

ミッチェルの「風と共に去りぬ」は大好きなので愛読してますが、同年代の他のアメリカ文学とは少し違う位置づけみたいなので雰囲気もだいぶ違うのかな?とにかく楽しみ!

 

 

バナナフィッシュの例の予告編から見えた「関係性」の大切さ(加筆修正すみ)

大好きなバナナフィッシュの予告編が原因で、少しだけ私のバナナ垢のTLが賑やかになった。

あえて「炎上」「荒れた」という表現は使わない。だって、みんな荒れさせたくて声を出してるわけでもないしいたって真剣にキャラクターや作品のことを思っての出来事なんだから。

 

私は最初聞いた時は、「ムービースター」という単語は聞こえなかったんです。というのも、私が少し耳が悪くて出だしのブランカさんの高速喋りに耳がついていかなくて中盤の可愛い過去エピソードとヒヨコちゃんを聞き取るので精一杯で(おまけにヒヨコちゃんで滾りすぎて残りも聞き漏らした)ほぼムービースターは記憶になかった。

なので、予告編を見た後の最初の自分のツイートもヒヨコちゃんへの滾りに終始していたし私の仲良くしているフォロワーさんも「ちょっと!!ヒヨコちゃんって何っ!!?可愛い!!」みたいな似たような反応だった。

でも少しずつ「冒頭のアレってひどくないか」「無神経すぎない?」という反応が出始めて、私も「んんん?」と思ってもう一度聞き直して事態を把握した。

 

私個人としては、このアッシュとブランカのやり取りの中では少なくともアッシュは冒頭のアレにショックを受けてる描写はないから、アッシュが気にしていなければ良いのかなと思っているけれど、ファンにここまで心配させてしまうようなやり取りを描いた制作側はもう少し言葉選び出来なかったのかなとかなり不満を持っている。

しかも原作では一度もブランカは「ムービースター」という呼びかけをアッシュにしていなかったのに、あえてわざわざ書き直したのってどんな深い考えのもとにしたのだろう?って大いに疑問。アッシュの成長ぶりに対してのチャチャ入れなら他にもっとアレ以外の言い方あったでしょう。

(アニメ組にしても原作既読組にとっても、あの「ムービースター」という単語はかなり取り扱いに気をつける単語だと思うんだ。勿論、あれは「こんな美人になっちゃって!ハリウッドからお呼びがかかっちゃうよ〜」という意味なのは承知だけども!)

ただ、なにせアッシュ自身が気にしていないのだから私はどうする事も出来ない…。

(この状態であまり「アッシュがかわいそう!」と叫ぶと次は「出た出たモンペ」とか思われそうなのも少し癪だし…笑)

 

だがアッシュがここまで平常心でいられるのも、アッシュとブランカの関係性あってこそのものなんだろうなと思う。

もし仮にあの呼びかけがもっと関係性の浅いキャラクターからなら、きっと大きなショックを受けるだろうし、これは二次元三次元関係なく同じキーワードを発するにしても「両者の関係性」というのは受け手にとってとても大きなフィルターなんだろうなと改めて感じた。

 

そうなると、マックスの言動に対するアッシュの反応も妙に合点が行く。

マックスは作品にしては珍しく、アッシュにまったく性的関心を催さない中年男だ。(まだ三十代だし十分若いと思うし、なんなら私はアッシュとよりマックスとの方が歳近いけどあえてこう書く!心が痛い…)

彼はどんどん話が進むにつれて、彼の生来の面倒見の良さからアッシュの性格や生い立ちや考えを知り、理解し、共感して、いつしか父親のような存在になる。アッシュも彼に対しては父親に見せるような表情を見せていく。

とても優しくて力強いマックスだが、一つ致命的な欠点があるとすればアッシュの性被害に対してとても…無神経で無遠慮だと思える発言をする事である。

先週放送回で、アッシュは自身が幼い頃レイプをしておまけに映像として残した男から過去の記憶に苛まれながらもなんとか彼を含む多くの子供達のレイプ画像や映像をマックスと共に取り返した。

マックスはその後、アッシュの提供した自身の画像をライターで燃やしながら「忘れろ」「いや、それが出来るならとっくにしてるな。なら思い出すな。もうこれ以上これに苦しめられるな」と話した。

この発言、とっっっても危険だなあと初見の時に目ん玉ひんむいた。

性暴力へのトラウマで苦しんでいる人に対して忘れろって…うーん。心に土足で入るのにもほどがあるでしょう。

でも、ここでもアッシュは静かな表情でそれを受け入れた。これも今までの二人の擬似親子的な関係性があるからこそだ。

また、このシーンの直前にマックスは生まれて初めてゲイバーに入って生まれて初めて自身が無防備な状態でセックスの的として見られることになり「女の気持ちが分かった」とげんなりと発言している。

かなり無神経なあの発言も、そういった女性の立場を少しは経験した根っからのノンケ男マックスなりの優しさから出てきたものなのかなと思えばその誠意は汲み取れる。

アッシュもマックスの発言のその奥の想いや優しさを、これまでの関係性もあって分かったから穏やかに受け止められたのかな…と勝手に推測している。

(でもやっぱりデリカシーに欠けるとは思ってるけど!)

 

ブランカもマックスも、これまでのお付き合いや関係性があるが故に出てきた発言だし彼らから出た言葉だからこそ、デリカシーに欠けていても軽く受け止められるアッシュがいる。

関係性のあり方の深さを思いしれた一件だった。

宇宙の法ー黎明編ー 感想

遅くなりましたが、見てまいりました!

「宇宙の法ー黎明編ー」の感想です!

 

予告編の段階からとても綺麗な映像でかなり期待値が上がり、さらに言わずもがなですがあの豪華な声優陣ですよ!!!

立花さん…!ユキさん…!!(アイナナファンとして触れずにはいられない)村瀬さん!!日向くん!!!

作画もより立体的になっていて、前作よりも表情豊かになっていたので格段に見やすくなっていました。おでこがかわいくなりました笑

 

冒頭のレイの学生生活のシーンでも、みんなが出てきてくれて懐かしかったです。みんな卒業後でも勉強熱心でえらいなあ…。仕事しながらの学習にヒイヒイ言ってる身としては眩しいです!

レイのみんなのように将来をハッキリと決められていない気持ちも分かるなあ…と思いました。回想シーンではタイラと互いの夢を語り合っていましたが、時が経つにつれて心境が変化したり現実の壁とぶつかったりして夢への気持ちやモチベが変わるのも分かる話なので、ああもモチベが異常に高いメンバーに囲まれてたらピリピリするのも…うん。分かるよ、レイくん!(一方的なアピール)

エイスケは可愛い。うん、可愛い。癒し〜!

 

この後のシーンでは新キャラクターが続々と出てくるんですがみんなキャラクターが立ってて本当に楽しかったです!

ザムザ様、ダハール様、そしてそしてエロス。

予告編の段階では前者二人の存在は把握していて、その段階から「これは…くるぞ…」とかなり心のハードルをぐんぐん上げていたんですが(いやだってさ、ダハール様の「さよなら悲劇のヒーロー」とかさあ、もうヤバいでしょ本当に!!滾る!!!)エロスは完全にノーマークでした。

だって予告編だってほぼフューチャーされてませんでしたし、正直こんなキャラ立った子とは思ってませんでした!本編が始まるやいなや、神秘的な音楽を背負いながらヒラヒラさせながらフワフワ飛んだりクスクス小悪魔セクシー(若干ビッチ寄りに見えたレベルでセクシーだった。個人的にはザムザ様よりずっとえっち)な微笑み投げたり、とにかく凄まじかったです。語彙力が崩壊していてすみません。

正直、エロスが画面に出るたびに「エロスくん来た!」と手を叩いて歓喜してました。あの手の綺麗なお顔した男の子キャラ好きだから余計に反応しちゃいましたてへぺろ

 

アルファ様の説法シーン、とても良かったです。

これまでの映画での説法シーンの中で一番ストーリーの中で浮いてなくて自然にすんなりと聞けました。これは多分、ファンタジー世界の中で描かれ語られる説法だからなのかなと感じます。勿論、舞台は違っても語られる真理自体は変わらないんですがストーリーの中で違和感なく観客に感じさせるのってエンタメとしてとても大きな意味を持つと思います。

HSに限らず、キリスト教関係の映画(「十戒」)を見ててもどうしても非信者には、どうしても違和感や唐突感が歪めないシーンが出てくる事があります。多分、信者の方たちには「キター!この教義大好き!」と思えるんだなあと分かってはいても非信者の目では「あ、ストーリーの流れが途切れちゃった…」と思えるようなシーンといいますか…。教義を言葉での説明だけでなく、ストーリーやキャラクターの台詞(説明台詞ではなく、そのキャラクターの心が発しているセリフ)に乗せて教えてくれたらもっと楽しく分かるのになと思った事がこれまでにもありました。

今回のアルファ様の説法シーンでは、ちゃんとアルファ様がご自分の言葉で説明ではなく、語っているんだと伝わりました。

中身も「愛」についてのもので、HSの教義について詳しくは知らない私でもすんなり分かりやすく思えました。

それに、ザムザ様というある意味等身大のキャラクター(教えについて無知の状態からのスタートなので、感情移入しやすい)が身をもって部下を庇ったり丸腰の王国民を助けたりと、愛を実践してそれがキッカケで愛の循環が広がる様子を見せてくれる事で、「愛」の教えの深さを見せてくれたのも分かりやすかったです。

 

タイラくんとレイくん。

まあ、ねえ…。この二人はもう、あれでしょう、うん…。もごもご…。(口を濁す)

もちごめちゃん、私の言わんとしてる事を察して貰えると嬉しいです〜!!!!

ラスト間際の二人のあーんな体勢のシーンでスクリーンに向けてニヤニヤしちゃった罪深い私はザムザ様の奴隷にされてもおかしくないです。

 

ラストのザムザちゃん…もといザムザ様の可愛い行動には思わずにんまり。ちゃんと伏線もここで回収して貰えて嬉しかったです。

次作も期待しちゃって良いんですよね?しちゃいますよ!!!

いつか来たる次作を期待しつつ、首を長くしてお待ちしています。

 

これで良いんだな

今日は退勤後にお友達とディナーをしました!

イタリアン、とっても美味しかった✨特に食後のドルチェが絶品で…!

宇宙のお話や宇宙人のお話もたくさん出来ました。地球にはたくさん宇宙人が遊びに来てるんだって!他の星にはない地球の文化や精神性が珍しくて、宇宙人が学んだり体験してるみたい。中には、地球人の身体に乗り移っている宇宙人もいるとか。もしかしたら今隣に座ってる人も宇宙人なのかもね笑笑

そして、話題はなんとなく霊言になりました。

幸福の科学のお話はどれも面白くて勉強になるなあと思いつつも、霊言は実はまだよく分かっていないんです。まだにわかに素直に受け入れられないというか…。

「信じてないのか?」とか問われると、何とも言いようがないんですが「受け入れられる霊言と受け入れられにくい霊言がある」という答えが今の自分の気持ち的に合うかもしれません。

例えば、マーティンスコセッシ監督の霊言。

映画「沈黙」の公開と同時に出された霊言集だったと思います。もともと原作者の遠藤周作先生は私が日本文学の中でかなり上位レベルで好きな作家先生です。遠藤先生の代表作なので私も映画公開前から原作を読んでおり(その度にお通夜テンションになり)、圧倒的な暴力に対しての人間の弱さ、作中での神の存在感のなさ(本当に儚すぎる!十戒並みの存在感出してええんやで…日本海割ってええんやで…)を味わい、楽しく読めないけど時たま触れたくなる一冊として心の中の位置を占めていました。

映画もきちんと信者一人一人に重点を当てつつ、原作の持ち味を出してくれてるなあと思いました。

そんな感想を抱きつつ読んだスコセッシ監督の霊言でしたが、中身がとてもショッキングで…。読まれた方は分かるかと思いますが、スコセッシ監督がとてもペランペランな書かれ方をされてて衝撃的でした。自分の好きな作品に、こんな心意気で関わっていたのかあ…と悲しい気持ちになったりしました。なんか…信じたくない気分になったというか。

普段はわりと霊言は読めたんですが、あまりページをめくる気持ちになれずフクザツな気持ちを抱えたまま終わりました。

この日にお喋りした方とも、スコセッシ監督の霊言に対しての私の正直な気持ちを話したらその方は「それで良いんだよ」と言ってくださりました。

なんだか…とてもホッとしました。

宗教を学ぶ人間である前に、私は人格を持った一人の人間なので思ってることや思想(こんな大それた名前で言えるような事は考えていないし、時と場合によってコロコロ変わりますが^^;)を持っています。

それなの全てが幸福の科学と完全にシンクロ出来ず、密かに悩んでいたんですが今回の一言で落ち着けました。

今後もマイペースに知る努力をしつつげてゆきたいです。

 

 

 

カメラを止めるな!

流行りに乗って見てきました!

カメラを止めるな!

前評判通り、そして予想を裏切るアットホームなエンドに心がいっぱいであります。

この映画を例えるなら「シックスセンス釣りバカ日誌を足したかんじ」かなあ。ゾンビ映画自体観るのが初めてだったので、ゾンビの怖さを感じつつもアットホームでお約束な展開(褒めてます)にほっこりして爆笑して、エンドロールを迎えたら「また観に行ってあれやこれや確かめに行くぞ!」と思えてしまう展開でした。

ここからネタバレ全開でいきますね。

 

 

 

 

 

監督役の俳優さん、とっても優しい笑顔で癒されました…!娘さんとのギクシャクした雰囲気が、映画製作を通して自分でも把握していなかった映像への熱い想いを発露する事になって、それがキッカケで心の距離を埋めていき、最後にあの笑顔…。もう、めちゃくちゃハートフル!

あと、若手俳優の彼もナイス。

こねくり回しためんどくさい性格めっちゃ持ってる雰囲気、たしかに一部舞台俳優さんにいそうだから(偏見)

だからこそ、ラストのあのシーンでのバテ気味の裏方の女の子に代わって率先して馬になる所とかがとてもカッコ良く見えた。ガムシャラ感がカッコいい。

中盤、カメラマン助手の女の子を支えてあげてたし。

あと、私はゲロの場面で大爆笑した笑笑

あれリアルだったのね…。

 

俳優さん皆さん素晴らしくて、日本にはこんなにも沢山のまだまだ知らない俳優さん(しかも演技が上手な)がいらっしゃるんだと再認識させられました。なんでいつも同じような俳優さんばっかでドラマや映画やってるんでしょうかね…。

(もっとも、今作では現時点ではまだ無名の俳優さんだけが出演されてたからこそ映画の仕掛けや劇中の必死感がよりリアルに感じられて良かったんですが。)

もしかしたら、有名な俳優さんと有名じゃない俳優さんとの差って技術的な面というよりも大きな事務所に入ってるかとかコネがあるかとか作品に恵まれたかみたいな、目に見えない部分なのかもしれませんね…。なんだか理不尽!

 

私はどうしてももう一度タネを知った状態でゾンビ映画本編を見にいきたいので、また劇場へ足を運ばなくては!