楽しいこといっぱい

映画や本の感想書いていきます。アニメやゲームの話もします。

言葉

バナナにはまって以来、わりと色んな経験をしてきたのだけれど(積極的にコラボカフェ参加、グッズを値札を見ずに購入、ブルレイ全巻予約購入、pixivで半日を過ごすなど。どれも締まり屋で飽き性の私ではこれまで考えられなかった行動である)、一番なにが自分で考えてインパクトが大きいかと言えば、自分で二次小説を書いて、おまけに即売会のタイミングに合わせて同士の方々と一緒に合同誌を発刊してしまった事である。マジかよ。

この経験は自分の中で大きな出来事だった。

声が大きい割に自分の主張にさほど自信が持てない(クソ!)という私にとって、紙媒体というものを一からみんなで作ってお金を頂戴して発刊して読んでいただくっていうのは、かなりかなり通常ではありえない行為。勇気を試される行為。

これが出来たのも、同士の皆さんの熱意と知識のおかげだなあとしみじみ感じます。私一人ではたぶん途中であきらめていたもん…。

自分の作品の出来不出来はともかく、今回の記事で一番主張したいのは、創作という経験を通して私はあらためて「言葉」を丁寧に扱う事を学べたことである。

「言葉」に対して誠実に向き合い、受け取り、そして発信することを学べた。そして同時に、「言葉」はとても正直に発信者の心を映すという事も学べた。

自分がこれまでどれだけ言葉に対して分かっているような態度を取っていて、実は全然わかっていないかというのが実際に書いてみてよく分かった。

もっと言えば、言葉に対していい加減で不誠実な向き合い方をしていたと言っても良いかもしれない。

上っ面だけの言葉を道具として操り、なんとなくお茶を濁していた。これで良いんだ、形だけ整えとけばみんななんとなく納得してくれるし分かってくれるだろう、この場は上手くやり過ごせるだろうって思っていた。

でも、言葉ってそんなもんじゃなかった。

言葉ってもっともっと難しくて、奥深いものだった。

自分の気持ちや伝えたい事にきちんと耳を澄ませて、それに嘘をつかずに、当てはまる言葉を探して紡いでいくのはとても難しい(自分の心にきちんと向き合うという作業が特に)けど、だんだん慣れてくると面白くなるのも嬉しい発見だった。

自分の発信する言葉に敏感になると、次は他者からの言葉に敏感になった。これは面白い反面、辛く感じることも増えてきた。

まず、嘘やごまかしがなんとなく分かるようになってきた…気がする。(自分のネガティブ気質もあるから、考えすぎなのもあるかも)

特にSNSなどの文面上での言葉。特に、作品の感想とかも本当は読んでないのかなとか、そういうのも言葉の節々で察せられちゃうのが色々な意味で心がぎゅってなったなあ。読んでないから腹立ったとかではなく、無理に気を使わせて苦しい嘘をつかせてしまった〰!!って申し訳なさで、土の中に体を埋めたくなった。と同時に、自分が今まで本当は友達の作品をきちんと完読できていないのにそれを言い出しづらくて、いまいちぼやけた感想を言ったりしていたのも、きっとあの子には私の本心が透けて見えていたんだろなうわあああああああ、とか知りたくなかったけどまだ今のうちに知れて良かったことなどもあった。(くだんのお友達、本当にその節は申し訳ありませんでした)

人の心に届き、響かせるのにごまかしや嘘は通用しない。ありのままの、嘘のないシンプルな言葉こそが相手の心を打たせることができる。

そんな事にやっと気が付けたのでした。

まだまだ見栄っ張りだし、どうしてもなにもかも明け透けには出来ないけど、これからは熱意と誠実さをもって言葉にきちんと向き合いたいと思った所存であります。

以上、決意表明でした。